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クラスの担任という強制ガチャ

 

 


こんなこと吐き出してみたら、色々と過去を振り返ってしまいました。

 

僕は少年時代に担任の教員に対して、溜め込んでいて発散できずに終わったストレスがあり、いまもなお根に持っています。
今回はそんな古いストレスを発散するために、いままでの担任について振り返ってみようと思います。

 

 

 


幼稚園年少 なおみ先生

ギザギザの歯で園児から恐れられていた、40歳手前くらいのおばさん先生。
夫である温厚な園長とは対照的な存在。実は面倒見の良い優れた教諭だったのだと思う。
当時の僕は激しい気性難だったので世話を焼かせたはず。
はっきり覚えている思い出は、ゴムホースか何かのゴミを「ヘビだ!!」と言って放り投げたら、般若の面のような形相で激怒されたことくらい。


幼稚園年中 うるしばた先生(うろ覚え)

30歳前後のがっしりしたお姉さん先生。
配膳弁当の食べ残しチェックが煩わしかった。
キャベツの千切りを残し、弁当箱の隅に寄せておいたら、
「お~い!お~い!ほっかいどう!」
というわけのわからない歌を歌いながら指摘されたのをよく覚えている。
結局キャベツはお茶で流し込まされた。


幼稚園年長 いわま先生

20代の可愛いお姉さん先生。
なぜかほとんど記憶にない。
ということは悪い先生ではなかったのだろう。


小学校1年生 服部先生

30歳前後の女性の先生。
生徒それぞれにキャラ付けし、自分が付けたキャラクターのイメージで見ていて、個人の本質を見ようとしない先生。僕の母もそうなので妙に既視感じみたものがあった。
僕は"血気盛んなプロレス好きの男の子"というキャラ付けをされていたよう。もちろん実際は違う。
鼻血を出したことがないのが自慢のクラスメイトの鼻を殴って出血させた際、
「もう二度とプロレスごっこはしません」と前に出て謝罪させられたのをよく覚えている。
ちなみに当時の僕は、プロレスごっこはおろか観たことすらないので、知っているプロレスラーといえば激闘プロレスのドラゴンアキラくらいのもの。
でも面倒見は良かったし、一生懸命生徒のことを考えていたのだとは思う。きっと良い先生。
彼女が転任になって、翌年に家に届いた暑中見舞いは今でも保管してある。字が綺麗。

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小学校2年生 柴田先生

鬼のような面構えでいつも怒っている30歳くらいの女性。
"筆箱には鉛筆4本と赤鉛筆1本、それに白い消しゴムだけ"というような、
合理性のないルールを課すのがお得意。
給食を残す生徒に、
「私が登山に行くと弁当の食べ残しは全て水でゆすいで飲むのだ!」
と、気色の悪い自慢をしてたことが今でもトラウマ。
友達がクレヨンしんちゃんのキーホルダーをランドセルにつけてきた際には、
「余計なものを持ってくるな!」
と取り上げ、図書室に閉じ込めるという暴挙。
そしてその取り上げたキーホルダーを自分の鞄につけていたのを見て、
「先生って信用できない…」と学んだ。


小学校3年生 山田先生

20代の丸顔女性。
明朗快活で優しく、とりわけ僕に対して面倒見が良かった気がする。
僕が体調が悪いとすぐに気づき、素手で吐瀉物を受け止めてくれる看護力の高い先生。
離任式の時に泣きながら、
「私はみんなに会えてよかった!西*小のみんなに…!!」
と叫んだことがとても印象深い。
僕が通っていた小学校は『南*小学校』である。


小学校4年生 土屋先生

後述する豊泉先生が産休のため、代理として勤めていた20代前半の先生。
とても一生懸命やっていたし、個人的にも良くしてくれた。
あえて良くないところを挙げるとすれば、僕含め数名を自宅に招いて遊んでくれたりしたのだけど、それは招かれない生徒にとっては良くないよねっていう。


小学校4年生 豊泉先生

四白眼の薄気味悪い30後半くらいのおばさん。
僕は特に目をつけられていて、事あるごとに"とある生徒(特定可能)"として父兄に配られる学級通信に悪口を書かれた。
つまり、僕に対する"いじめ"を初めて行った人物である。

いじめの内容を以前にもいくつかブログに書いたほど嫌い。

本当に苦手だったし、何より、親や周りの友達は彼女のことを評価していたというのが苦痛だった。


小学校5、6年生 横山先生

30代前半の男の先生。
運動神経が良く、クリエイティブで新しいことが好きな、子供にとっては嬉しい先生。
いち早くパソコンを使った授業を取り入れたり、教室でフェレット海水魚の飼育をするユニークな人。
しかし情緒不安定な一面があり、クラスの席決めが上手くいかずに、
「あ゙あ゙ーッ!俺だって考えてるんだよおお!!」
と机を激しく叩き、泣いて発狂する恐ろしい先生。
当時自分のことを天才だと勘違いしていた僕は、彼の効率の悪い算数の授業や、間違いの多い国語の授業にいちいち口を出し反感を買い、復讐とおぼしき攻撃を受けていた。
その手法は"恥をかかせること"が中心。

昔ブログに書いたことの他にも、

"転校した友達にパソコンで手紙を書こう!"という企画のときに、突然音声読み上げソフトで僕の手紙だけ読み上げられたことや、
"愛するとは"みたいなテーマの授業で、
「『愛*』という言葉を書けるだけ黒板に書いてごらん」と指名され、
『愛人』と『愛犬』しか書けなかった僕に対して、
「もっといろいろあるでしょお!w兄弟愛とか!家族愛とか!愛人だなんて君はいやらしいんだよw」
と辱めてきたことなどがある。
『愛*』というルールで問題を出したのに『**愛』で解答例を示してくるのは卑怯だと反論したかったが、いじめモードに入った彼に怯え反論できなかったのも悔しくていまだに覚えている。
大体、愛人の意味なんて小学生の僕はよくわかっていない。

しかし、幸いと言っていいのか、いじめの対象は僕だけではなかった。
席替えの際に
「絶対に隣になりたくない人を一人だけ書いて」
と投票させ、嫌われ者をあぶり出すというゲスの極み選挙をしたことがあった。
そしてその嫌われ者がどうして嫌いか個別に面談し、"**君を謝らせる会"を堂々と黒板の時間割に書いたりする鬼畜な一面も見ている。
僕はまだマシなほうだったのかもしれない。

彼もまた、豊泉先生と同様に父兄からの評価が高かったのが悩ましかった。

唯一の救いだったのが、彼が発狂しているところを目の当たりにしているクラスの仲の良い友達とは陰口を言えたこと。
それがなかったら僕は今以上に捻くれたクソ人間になっていたと思う。

余談だが、彼の個人攻撃に耐え兼ねて、一度母親に相談しようと、
「横山先生嫌いなんだけど」と話を振ったことがあったが、
「そう?お母さん好きだけどな」で終了した。
親は子供が意見しだしたら、自分の意見を言うのではなくまず子供の意見を聞くことが大事だと思う。

 


さて、ざっくり振り返ってみると、こんな感じで僕の"担任ガチャ"はハズレばかりが記憶に残っています。

ハズレを使いこなせなかっただけ、つまり、僕の態度によっては良い先生になり得たという考え方もできますが、使いこなす能力のなかった僕の主観でのハズレという評価ってことでひとつ。

人格が形成される大事な時期の大部分を、本人はどうにもできないガチャによって選出された担任の教員に左右されるというのは、どうも馬鹿げていると思ってしまいます。
僕が親なら、子供の教育をそんなアタリ確率の低いガチャに委ねたくないので、
「担任の先生なんて単なる見張り役なんだよ」とでも言って、どんな担任を引こうが大して人生に影響しないような教育をしたいところです。

 

ちなみに中3と高1~3の担任は、前述した教員たちを遥かに凌駕するクソ教員を引いてしまったのですが、彼らは当時から、他の生徒はおろか父兄一同も認める悪評で、彼らに対する鬱憤はそれほど溜まっていないので省きます。

また気が向いたら両名のことも書いてみようと思います。