嫌な思い出を忘れる方法
どうも、時間差日記の貫之です。
それは嘘でして、ガフガリ太郎と申します。
誰でもお手軽にネット上に動画をアップロードできるようになった昨今、あおり運転や迷惑行為、イジメや喧嘩の動画などが散見されるようになりましたね。
これらに共通していることの一つに、「ギャラリーが煽る」という性質があります。
僕も高校時代、そんな気持ちの悪い性質に巻き込まれたことがあります。
今回はそんなエピソードを振り返って、いや~な思い出を浄化したいと思います。
200X年、中学校を卒業して浮かれていた僕は、『ブリーチミスト』という今ではあまり見ない、"髪をだんだん明るくする"というアイテムを毎日使っていた。
後に入学する高校は、この辺りでは特に厳しいらしく、普通のブリーチ剤を使っては一発でバレて坊主にされてしまうからである。
僕は全くヤンキー系ではないし、茶髪にしたかったのは完全にただのファッションだった。
田舎の女子高生と同じ発想。
加えて、中学までは無理して明るい人間を演じていた部分があったので、仲の良かった同級生たちと離れる新天地では生来の人見知りらしくひっそりと高校生活を送ろうとさえ思っていた。
来る高校入学の日、少し明るくしすぎたかも?とは思っていたものの、同じように少し茶髪にしてくる奴も何人かいるだろうと、特段目立つレベルではないと判断し、入学式に臨んだ。
すると、体育館に集まった300名余りの中に、やはりチラホラと茶髪の人間が紛れていた。
(うわ~、やっぱああいうのいるんだな~)なんて自分のことを棚に上げつつ少し安心したものの、帰り間際に事は起きた。
暴力沙汰を何度も起こしていて実はヤクザという噂のある副校長(実際はただの強面)が僕のところにきて、
「おい!赤い髪のお前!よろしくな!」
みたいなことをニヤニヤしながら言ってきたのである。やはり少し明るすぎたみたいだった。
(やばい、早速捕まって坊主にされる…)という恐怖を抱き帰路についたが、実際面倒なのはそんなことではなかった。
そこで目立ってしまったせいで、『ヤンキー漫画に憧れてるけど中学ではガチヤンキーがいるからイキれなかったので高校デビューしたヤンキーやるほどの度胸はない人』みたいな奴らの目の敵にされたようであった。
一方の僕は、高校からは陽気さのかけらもない、今の言葉で言うと中身は完全に『陰キャ』である。
それなのにそういう奴らに絡まれるのは御免だった。
とは言え、イキりたがってる彼らも所詮高校デビュー。喧嘩を売ることに慣れていないみたいで、絡み方と言えば、ろくでなしブルースを意識したような変顔でガンを飛ばしてくるくらいのものだった。
当然僕は、不良として名を馳せたいがために髪を染めたわけでは決してないので、睨まれても一瞥をくれてスッと立ち去る陰キャらしい行動を徹底していた。
学校ではゲーム好きのクラスメイトとちょっとお喋りするくらいで、帰宅したら即バイト行って朝までオンラインゲーム。そして学校で寝る。
そんな穏やかな日々を送っていた。
しかし数ヶ月経ったある日、クラスの一度も話したことのない、吉田拓郎の髪型で襟足だけ伸ばしたメガネをかけた男が、昼休みに自分の席で寝ていた僕をいきなり引っ張り起こし、窓際につれていき胸倉を掴み、
「調子乗ってんじゃねーよ!」
と絡んできたのである。
(いやいや、俺が調子乗ってるならほとんどの奴がそうだろうよ…)とは思ったが、明るい髪のおかげで教師陣に注目されていたせいだと即合点がいった。
この時、「あ、ごめん…」と陰キャらしく引っ込んでおけばよかったものの、無駄に負けん気が強い僕は、
「なんだお前。喧嘩売ってんの?」
と挑発してしまった。
すると激昂した彼は、そのまま腹を殴ってきた。
連続して顔を殴ってきて怪我すると思ったので、同時にタックルして押さえ込んだ。
変に手を出して問題になったら困るし、髪を掴まれたので、ただただ押さえつけるという、女の喧嘩より面白くないファイトを展開したのだが、どういうわけか教室中、廊下にも溢れんばかりのギャラリーが出来てしまった。
まるで教室はファイトクラブ。罵声と声援が飛び交う格闘場に早変わり。
ギャラリーからワクワクが伝わってくる。
しかし実際は陰キャがイキりオタクの上に乗っかって押さえつけているだけ。
まさに地獄絵図。
そして膠着状態が続き、押さえつけられたメガネが疲れて掴んでいた髪を離したとき、中学が同じだったU田が走り寄ってきて、
「やめろ!台無しになるぞ!!」
と、なんと僕のほうを羽交い絞めにしたのである。
やめろと言われても最初から最後まで防御しかしていない。
しかもよく考えたら台無しも何も台に乗せるようなモノが当時の僕にはない。
同時に、ギャラリーの誰かが
「ラウンドツー!ファイッ!」
とか言い出してイラッとして拳に力が入ったが、最初の勢いはどこへやら、メガネはもう襲ってくることはなかった。
幸いと言うべきか、無傷で済んだからか、なかなかの騒ぎになったこの件で教師や親から何か言われることはなかった。
しかし後日…
このことがきっかけでまた面倒ごとに巻き込まれてしまった。
いつものように自分の席で寝ていると、これもまたほとんど喋ったことのないサッカー小僧が肩を叩いて起こしにきた。
「O熊が呼んでるぞ」
O熊?そんな奴は知らない。眼中にないとかではなく、本当に知らない。
「O熊?だれそれ」
と言うと、
「スポクラのヤバい奴」
とサッカー小僧は答えた。
スポクラ…。
隣の教室はスポーツ推薦の、男だけの、男塾のようなクラスだった。
まためんどくさいことになった…。
というのも本音だったが、僕の寝込みを襲ったメガネがなんのお咎めもないことで鬱憤がたまっていたし、きっと先日のアレが盛り上がったせいで、それまで喧嘩騒ぎなど一切なかった平和な学校だっただけに、高校デビュー野郎がまた嫉妬して絡んできたんだろうと思って腹が立った。
O熊…。名前からして柔道部だけど、サッカー小僧が呼びに来たってことはサッカー部だろう。じゃあ勝てるだろうやったるわ。的な心中で、僕はサッカー小僧についていった。
スポクラの教室の扉の前には、背は僕より少し高いくらいの、とくに筋肉質でもない、丸刈りで丸顔の、これもまたヤンキーとはかけ離れた垂れ眉の男が待ち構えていた。
顔が黒い。熊…。いや、焦げたアンパンマン。そいつがO熊だった。
すでにアドレナリンが分泌されていた僕が前のめりに、
「お前か?」
と言うと、
「さっき目ぇ合ったよなあ!?」
と、O熊は扉を蹴りながら言った。
おそらくこれは、「何メンチ切っとんねん!」の時間差バージョンである。
その時に言ってこないあたりが実にこの高校らしい。
しかし僕は誰にもメンチなど切ったことはない。
絶対こいつは喧嘩したことない。勝てる。万が一負けるとしても骨の二本くらいはねじり折ってやる。
そんな気概で僕はまたしても、
「はあ?お前なんか知らねーよ」
と言ってしまった。
言いながら、ふと我に返った。
頭より首の太いメフィラス星人に似た坊主頭のガタイの良い男と、140キロはありそうなガスダンゴのような男が、ザーボンさんドドリアさんのごとくO熊の両隣から睨んでいるのだ。
そしてその後ろには北斗の拳の雑魚の雰囲気で小坊主どもがヘラヘラこちらを見ている。
焦げパン野郎に勝ったところで、結局こいつらに捕まってパンツ脱がされでもしたらおしまい。
そんな危機感で僕の戦意は一瞬で消え失せ、
「そんな怒んないで平和に仲良くやろうよ」
と、人生で一度も言ったことのないセリフを自然と発しながら焦げパンの肩をポンと叩き、続けて
「じゃあね」
と言い放ち、自分でも不思議なくらいスムーズに敵前逃亡した。O熊は引き止めはしなかった。
こんなのがまかり通るところもまたこの高校らしい。
そうして、悪目立ちしていた僕が実はヘタレな陰キャだと広まったのか、それからは変な奴に絡まれることもなく、平穏が訪れた。
しかしある日、登校中にあの焦げパン野郎に遭遇してしまった。
うわっ…と思っていると、彼は
「オハヨー」
と挨拶してきた。
僕らの文化では、男同士で「おはよう」と挨拶することなどまずなかったので、
「お、おう」
と返すしかなかった。
仲良くやろうよとは言ったものの、友達になろうという意味ではない。
向こうもそうは捉えていないはず。不気味だ。
そしてどういうわけか、登校中や駐輪場などで焦げパンに頻繁に遭遇するようになってしまった。
彼は毎回必ず「オハヨー」と気色の悪い笑顔で挨拶してくる。
向こうも一人なので、からかってきているわけでもない。
実は案外育ちがいいのだろうと思うことにした。
そんな関係は高校1年の間続き、2年から彼とは校舎も変わったようで、遭遇することは一切なくなった。
そして月日は流れ、高校を卒業し、何の気なしに卒業アルバムを見ていると、スポーツクラスのページに目が留まった。
男だらけの、体育祭や修学旅行の思い出の写真が切り貼りされているページだった。
そこには焦げパンことO熊が、全裸で男たちに乳首をつままれて満面の笑みを浮かべている写真がでかでかと貼られていた。
高校1年の記憶がフラッシュバックした。
「スポクラのヤバいやつ」
「目ぇ合ったよなあ?///」
「オハヨー♡」
以上、体験談をラノベチックに書いてみました。ラノベ読んだことないですけどね。
実際のエピソードを長ったらしく書くときはこうした文体のほうがスラスラ書けます。
いかんせん語彙が乏しいので娯楽小説にはなり得ませんが…。
さてさて、いや~な思い出でしたが、こうして書いてみるとやっぱりくだらなく思えます。
過去の嫌な経験はいざ書き出してみると浄化できることがわかりました。
ということを、需要のない一般人の半生の一節を書き連ねる理由にしておきます。
そしていずれ自伝を執筆し、ひ孫にでも反面教師日記として読んでもらえたらと思います。