やらない善よりやる偽善
今回程の大きな被害だと、流石にやる偽善のほうがいいのかもしれません。
義捐金のように形のあるものなら。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=17300804
こういった無意味な偽善は本当に気持ちが悪い。
逃走する犬を派遣したほうが気持ちが良いレベル。
↑みたいなのは極端な例だけど、便乗して祭のように騒いでる人間が大半じゃないかなと思います。
「被災者に対して自分にできることは何か」とmixiやツイッター等で訴えることが、もし本当に自己顕示でないのなら、この先こそ大変であろう数ヶ月数年というスパンで被災地の復興に協力するでしょう。
が、今騒いでる人の多くは1ヶ月後には他人事になってると思います。
俺も報道を見てて、家族が津波で流された人とか、死亡確認に対してのリアクションを撮られてる人とか見ると物凄く気の毒には思うし、我が身にふりかかったらこれを教訓にと考えることは色々あります。
でも、その人達を救うために出来る限りのことをするかっていったら絶対しません。
やっても生活レベルにほとんど変化のない千円ぐらいの偽善募金で終わり。
きっとそれが普通。
何時間も何日も労力を割いて被災地にボランティアに行ったり、生活レベルを落としてまで寄付したりするマザー・テレサのような善人は、日本には0.001%もいないと思います。
それどころか、被災地復興のために一時課税とかになったら、文句つける人間も出てくるんじゃないかなと。
自分より善意的活動をしてない人間と比べて「やらない善よりやる偽善」と言う言葉を都合良く吐き、自己の価値を保ち高めるために利用している偽善者が大半に思えます。
そもそも、「やらない善よりやる偽善」っていうのは、「善意はあるけど、自分が不利益を被ってまではやりたくないよ」っていう人が都合のいい程度の善意的活動をするための言葉で、「やる偽善」を「やらない善」と比べて満足するための言葉じゃないと思います。
偽善なら偽善と自覚してヒッソリと、善と思っての行動なら祭で終わらずに長く継続的にやるべき。
と、個人的には思うんだけど、世間一般の本音はどうなんでしょうか。
偽善も善も、被災者からすれば善であることに変わりはないかもしれないけど・・・。